野外でのコンサートありがとうございました。
とってもきもちい風が吹いていた。
テントから顔を出すと、とっても大きなオーバル型のビル。
そして、真っ青な空。
なんてすがすがしいのでしょうか。
聴いてくださった皆様ありがとうございました。
次回は8月18日NOVEMBER11thでのGrowin' up LIVE。
1セット目は生徒が10人。
2セット目は今日のトリオで私が歌います。
我が生徒達よ。がんばれ!
品川駅、港南口に行きますと、歩道橋の上に出ます。
その一番右の通路に沿って、お進み頂きますと、
エントランスでやっています。
うちのチームは午後3時からです。
昼下がりのひと時にいかがでしょうか。
必ず、うちわをお持ちください。
LIVE IN TOKYOというイベントです。
お盆のシーズンにずっと誰かが歌っています。
RIE+The Golden Delicious Trio 4人でやります。
ほとんど馴染みのスタンダードです。
ボサノバもやります。
50分の演奏です。
ちょっと長い気もしますが、ぜひお越しください。
それが終わったら、おしまいです。
お待ちしています。
ボサノバって一体何だろう?
どこの国の音楽か?何語で歌う? 何拍子?
答えは、ブラジル。
ブラジルで話されている言葉は、ポルトガル語。
2拍子。
よくサンバやボサノバの譜面は拍子が、4分の2と書かれている。
1小節は2拍づつ進んでいく。
どこにある?日本の裏側。気候も反対。
ボサノバは、ポルトガル語で「新しい傾向(素質)」といった意味の音楽。
ボサノバは、1950年代の終わり、当時のブラジルの首都だったリオデジャネイロで、20〜30代の若いミュージシャンたちの手によって生まれた。
1958年、当時27歳のジョアン・ジルベルト(ヴォーカル、ギター)がレコーディングした曲「Chega de Saudade(シェガ・ヂ・サウダージ)」(作曲:アントニオ・カルロス・ジョビン、作詞:ヴィニシウス・ヂ・モライス)(英語では、NO MORE BLUES)によって、ボサノバと呼ばれる新しい音楽が始められた。
ボサノバは、音楽的にはサンバの延長上にある。
ジョアン・ジルベルトは、パーカッションのアンサンブルで演奏されてきたサンバのリズムをシンプルに洗練させ、ギター1本で表現する新しいスタイルを生みだした。
サンバで使われるパーカッションに、スルドというのがある。
それを、表現するために、ベース音をオルターネートで入れた。
ボサノバ最高の作曲家であるアントニオ・カルロス・ジョビンは
「私が作る曲の8 割はサンバだ」と、言ってたそうだ。
ボサノバの革新性は、リズムだけではない。
クラシックの素養を受け継いだジョビンの作品をはじめ、
ボサノバの曲には高度に洗練された、複雑で斬新なコードを使ってる。
テンションと呼ばれるものがコードに乗っているのだ。
ボサノバとは「洗練の美学」と言っても過言ではない。
もうひとつ、ボサノバには大きな特徴がある。
ボサノバは海と山に囲まれた南国の美しい都市、リオで生まれた。
そのリオに暮らすアッパーミドル・クラスの若者たちによって育まれた音楽がボサノバ。サウンドにも歌詞にも、「人生を楽しむ天才」と呼ばれるカリオカ(リオっ子)のライフスタイル、都会的な知性とウィット、そのセンス(bossa)がうかがえる。
誕生から45年を経た今もボサノバが私たちの心を魅了してやまない最大の理由は、SLOW LIFE の精神を象徴する音楽だからではないか?
BGMになっても飽きない、長時間共有できる、日常的なものではないのか?
ボサノバの父とされるあのアントニオ・カルロス・ジョビンが生誕して今年が80周年、そして来年はボサノヴァ誕生50周年。
アントニオ・カルロス・ジョビン(1927年〜94)は1927年1月25日に
リオ・デ・ジャネイロで生まれた。
大学では建築を専攻するが、すぐ中退。
ナイトクラブでピアノを演奏していたところをブラジルのクラッシック系(フランス印象派系)の音楽家:ハダメス・ニャタリに見出され、彼の紹介によりコンチネンタル・レコードで作曲/編曲の仕事を始めます、ジョビン25歳のころ(‘52年)だった。
ナイトクラブでの仕事は体に悪かったらしい。昼間働きたいと思ってたところだったので、彼の作曲や編曲へのペンはすごい勢いで走った。
その後、詩人のヴィニシニウス・ヂ・モライスと出会い、以後ソングライターとして
「想いあふれて」(chega de saudade,英語では、NO MORE BLUES)
「フェリシダーヂ」
「イパネマの娘」(THE GIRL FROM IPANEMA)
「おいしい水」(AGUA DE BEBER)などの名曲を生む。
'62年には、セルジオ・メンデスやジョアン・ジルベルトらと共に、ニューヨークのカーネギー・ホールで開催された海外初のボサノバ・フェスティバルに出演。
以後アメリカでボサノバがブームとなり、'67年にはあのフランク・シナトラとの共演も実現。映画の中での大変素敵なシーンが思い出されます。
70年代以降は「三月の雨」をはじめエコロジカルな精神を伝える自然賛歌の名曲、クラシックの素養に根ざした交響楽なども発表した。
'84年、ファミリー・バンドのバンダ・ノヴァを結成して国内外をツアーし、
'86年8月には初の来日公演も行う。
'92年にはリオで開催された国際環境会議のテーマ・ソングを作曲。
しかしその後、健康を崩し、’94年12月8日、入院先のニューヨークで膀胱ガンがもとで永眠した。享年67歳。
現在も活躍を続ける巨匠カルロス・リラとロベルト・メネスカルを共同プロデューサーに迎えたこのThis is Bossanovaは、彼らはもちろん、
現在のボサノバを代表する歌手たちの歌声やインタヴュー、そしてボサノヴァ誕生に関わった偉大なミュージシャンたちの貴重な映像も織りまぜた、ボサノバの歴史を紐解くドキュメンタリー。
この作品の原題はカルロス・リラとヴィニシウス・ジ・モラエスによる共作である名曲Coisa Mais Linda「もっとも美しいもの」から取られている。
上映は2時間。
その後、COTIAという人のライブがあった。
たった3曲だったが、良かった。
現在彼女はフランスに住んでいるらしい。
また機会があれば聞いてみたい。
みなさんもぜひ、見に行ってください。
知らない曲もたくさんあって、大変勉強になりました。